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漂流 / 吉村昭 著

江戸時代、土佐の船乗り・長平が乗った船が難破し、無人島に漂着。船を作って、約13年後に無人島から生還した史実を基にしたドキュメンタリー小説。
江戸時代、鎖国政策がとられていた日本では、各藩が勝手に外国と貿易をしないようにするために、幕府は大きな船の製造を制限していた。そのため、主に沿海用の小さな船が物資の輸送に使われていたのだが、沿海用の船は時化に見舞われると、難破しやすい欠点があった。
主人公の長平も沿海用の船に乗っていたところ、時化に見舞われ難破し、江戸から600km離れた無人島に流れ着いてしまった。仕方なく無人島で生活し始めたものの、病気や偏った食生活のために仲間たちは次々と亡くなり、ついに長平は一人になった。長平は絶望的な気持ちになりながらも、前向きに生きようと努めた。
数年後、新たに別の船乗りたち10数人が無人島に漂着し、長平は歓喜した。さらに数年後にも、船乗り5人が無人島に漂着した。すっかり、日本に帰ることを諦めていた長平だったが、無人島での生活が約10年を超えたあたりで、船を作って日本へ帰ることを決意し、皆を説得する。(略)

漂流 / 新潮社 / 吉村昭 著

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漂流に関する本を集中的に読んだ時期があったのだが、中でもこの本は大変面白く、どんどん読み進めることができた。小説だが、史実を基にしているので現実味があり、感情移入して作品を楽しむことができた。
病気の問題、食糧や水の確保の問題、船を作るための材料集めの問題など様々な障害が長平たちに襲いかかったが、特に重要な問題は、精神の問題だっただろう。絶望や無気力に苛まれながら、どう自分自身の心を落ち着かせていったのか。この小説の一番の読みどころだと思う。

以下、印象に残ったところを抜粋。

≪場面は、無人島で一人で生きていた長平が、新たに無人島に漂着した漂流者と初めて遭遇し、漂流者の一人から、『どうやって生きていたのか?』を尋ねられているところ≫

『愚痴を言いたければ、言うがいい。しかし、いくら愚痴を言ってみても、なんの益もないことがわかります。所詮叶わぬ身であるとさとれば、そこから生きる力のようなものが湧いてくるものです。・・・私は読み書きもほとんどできぬ一介の水主です。高僧のようにさとるなどということはできぬ男です。しかし、なにか一つのさとりを持たなければ、この島でとても生きてゆくことはできないと思います。』

『そのさとりとは?』吉蔵という水主が長平の顔をうかがった。

『さとりとは・・・、口に出すこともおそろしいことだが、この島で一生を暮そうと思うことです。しかし、私には、まだそのようなさとりの境地に達することはできません。どうしても、故郷へ帰りたいと強く願っています。そこで、せめて帰郷は神仏の意におまかせしよう、それまではあせることなく泣くこともやめて達者に暮らそうと思うようになりました。このように考えてから、気持ちがひどく楽になりました。』

この本を読んで感じたことは、2点。
1、どうすることもできない出来事に見舞われたら、受容すること。
長平は、自分の力ではどうすることもできない状況に抵抗するのを止め、受け入れ、諦めようとした。それによって、思考と感情に振り回されないようにした。これは、問題をこしらえ、自分自身を虐めることを止めるということだ。
2、何かをするときは目的を持って取り組むこと。
船を作るという目的を持つことで、無気力に陥っていた者も、生き生きとし始めた。目的を持つことは、精神を安定させる働きがある。立ち止まり苦悶するのではなく、やるべきことに集中するようにすればいたずらに心をかき乱されることは少なくなる。

吉村昭は、他にも『破獄』や『羆嵐』など史実を基にした小説を数多く残しており、どれも評判が良い。興味がある方は読むとよいだろう。


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漂流記の魅力 / 吉村昭 著

1793年、難破船・若宮丸の船員がロシアに漂着。運命に翻弄された船員たちを描いた史実に基づくドキュメンタリー小説。
1793年、仙台藩から江戸へ出航した米俵を積んだ和船・若宮丸は時化に見舞われ、5か月の漂流後、ロシアに漂着した。
若宮丸の漂流民の中にはロシアの地でまもなく病死する者もいたが、かろうじて生きていた者は、後に二派に分かれることになった。何としても日本への帰国を望む者。もう一方はキリシタンの洗礼を受け、ギリシャ正教の信徒となり、ロシア政府に士官し日本語教師としてロシアで生きていこうとする者。ロシアで生きていこうとする者は、心細さのためか執拗に仲間を説得し勧誘した。やがて、帰国希望組とロシア残留組に不和と軋轢が生まれるようになった。
運よくロシア皇帝に拝謁し、帰国希望組は日本への帰国が許された。しかし、日本へ出航した後も順風満帆とはいかなかった。当時、キリシタン禁制をしいていた日本では、キリシタン宗門に改宗することは重罪とされており、断じて許されることではなかった。そのため、漂流者の中に洗礼を受けた者たちがいたことで、帰国を希望する自分たちに災いが降りかかる恐れがあることを心配していた。彼らは口裏を合わせ、ロシア残留組がキリシタン宗門に改宗したことを日本の取り調べを行う役人には黙っておくことにした。
世界一周(この時、漂流民らは日本人として初めて世界一周した)を経て、1804年、長崎に入港した。だが、日本の地に降りても、彼らはまだ安心できなかった。今回、日本への訪問によってロシア側は日本へ通商を求めようとしており、漂流民を交渉の材料に利用しようと考えていた。日本側もそのことを十分察知していたため、その術策に乗るまいとして漂流民に対して、全く関心を抱いていないという態度をとっていた。現にロシア側の使節レザノフが連れてきた漂流民四人を渡すことを条件に何か要求してきた場合は、『受け取るには及ばず、ロシアに連れて帰るも勝手次第』と告げるようにと幕府から交渉にあたった長崎奉行に伝令が出されていた。そのような状況であったため、漂流民らは日本への帰国が許されないかもしれないといぶかり、精神錯乱により自殺しようとする者も現れた。
結局、長崎に入港してから約7か月後の1805年3月、ロシア側の日本への通商要求の折衝は不成功に終わり、漂流民らは日本側へ引き渡されることになった。
その後、漂流民らは長崎、江戸、出身藩である仙台藩で、幾多の聴取を受け、13年ぶりに帰郷することになった。しかし、帰郷した1ヶ月後に長崎で自殺未遂をはかった漂流民が亡くなり、半年後にはもう1人の漂流民が病死した。残りの2人は帰郷からそれぞれ、8年、23年後に亡くなり、運命に翻弄された漂流民らの人生に幕が下ろされた。

漂流記の魅力 / 新潮社 / 吉村昭 著

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一章では日本の海洋文学事情について、二章以降では若宮丸の漂流について語られているので、タイトルの内容を期待していると拍子抜けするかもしれない。とはいえ、二章以降の若宮丸の漂流に関する記述は興味深く、当時の日本を含む国際情勢を絡めた話で面白い。


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主にノンフィクション系(ビジネス、科学、ドキュメンタリー)を読みます。小説も読みます。たまに映画も見ます。

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